哀悼
先日とある友人Mの愛犬が亡くなったそうだ。M氏とは親交も厚く、M氏の家にも何度か行った事があるのでその愛犬(エルだっけか?)とも一緒に遊んだことがある。まぁ、もともと犬嫌いなgopachiさんなんで遊んだのは一度きりで、しかもそのとき痛い目に遭ったのであまりいい思い出は無いのだが、それでもなんか悲しい気持ちになった。何度行っても俺に向かって吼えまくる彼。犬小屋の中をぐるぐる回り、俺に襲い掛からんとする彼。一応尻尾を振っていたから俺を遊びたかったんだろうか?ただ、俺は大型犬に噛まれた経験からどうしても犬に近寄りたくないので、遠回りしてM氏の家の玄関に向かったものだ。今思えばもう少し遊ぶなりの触れ合いをしても良かったのかも知れない。
よく俺に吼えまくる彼を皮肉って、『バカ犬』と言うと、M氏は冗談まじりながら少しマジになって『バカじゃない。番犬として優秀な証拠』と反論していたのを覚えている。いくら友人からの冗談とは言え、彼のことを馬鹿にされたのが嫌だったのかもしれない。もちろん俺も彼のことを本気でバカだとは思っておらず、M氏もそれを理解はしていただろう。ただ、やっぱり気持ち的に嫌だったのかもしれない。M氏はどれほど彼のことを愛していたかがわかる。
その日のM氏のblogに次のような一節があった。
『生きてるから「生き物」ではなくて
死ぬから「生き物」だった』
何か重い言葉だ。死の重みを知ったの者にしか吐き出せない言葉だ。『良く生きる』とは『良く死ぬ』こと。これは普遍な真実だと僕も信じている。
M氏のblogを読んで、電話しようかコメントでもしようかと迷ったが、結局何もしなかった。M氏にどんな言葉をかけてやろうか分からなかったからだ。何もそんなに大げさに考えなくてもと思う方もいるかも知れないが、誰かの死に対して軽々しく発言したくない性質なもので。
ただ最後に、彼に対して哀悼の意を表したいと思う。
あなたは幸せでした。愛すべき飼い主を愛し、愛すべき飼い主に愛された。僕にもいつか必ず死が訪れます。そのときはあなたのように誰かに愛されながら惜しまれながら静かに眠りたいです。どうか安らかにお眠り下さい。あなたの愛したご主人様はきっとあなたのことを忘れないでしょう。